

今日は3月3日『ひなまつり』女の子の居るご家庭では、雛人形が1年に一度だけ燦然と輝きを見せてくれる時です。


さて、ひなまつりの歴史とは。。。
古くは平安時代にさかのぼります。その頃は無病息災を願い人形(ひとかた)を海や川に流していました。
また、『源氏物語』や『枕草子』にもある、上流の少女たちの間で“ひいな遊び”(ひいなとはお人形)今の「ままごと遊び」が流行ったそうです。
こうした行事と遊びが重なり合って、ひな祭りとなりました。
3月3日の節句になったのは室町時代からで、この頃からしばらくして戦国の世が終わり江戸時代になると本格的に女の子のお祭りになり、多くの人々の間に広がっていきます。
雛人形の大きさが、その家の格を表す様になり、みな競って贅沢な人形を作ったそうで、すごいものは等身大の雛人形があったようです。。。。。
あまりの派手さに幕府から度々、華美禁止令が出されていました。
それからは、今の大きさの人形が主流になったそうです。
明治に入り、一度は節句行事を廃止にしましたが、長く人々に根付いた行事は簡単に無くなることなく、やがて復活し現在に受け継がれています。
そして、今回は私達の町!!
「 越谷のひなまつり 」 です。
越谷店のある越谷市は、日光街道に21ある宿場の1つで起点である日本橋から、千住・草加に続く三番目の宿場町『越ヶ谷宿』です。
宿場決定により幕府から直角に屋敷割がなされ、現在でも区割りが旧街道沿いに残されています。
その通り沿いに現在も残っている旧家の一軒でお雛様が飾られていました。


思わず飛び込んで。。見せていただけることに。。。。。


ひんやりした空気の中、雛人形が重厚な雰囲気を醸し出していました。
そして、裏手に周り、奥にひと際目を引いた・・・・・・


灯篭のライトが雛人形を引き立てて、
ひととき幻想的な気分に。。。。。
私達の住む、この越谷の歴史を知るきっかけになりました。
日々過ごしている中で歴史と云う、つい見過ごしがちな事を改めて気付くことが出来ました。
これを機会に越谷の町を歩いてみようかな!!
